も く じ
第一章 がん論争が始まった
1.やっと聞いてもらえた主張
2.近藤 誠の十年の努力
1)乳ガンの「乳房温存療法」
2)逸見手術と手術の行き過ぎ
3)抗がん剤の副作用がわかる本
4)がん検診、百害あって一利なし
・見落とし、誤診と患者のストレス
・検診は有効か
・検診システムは誰のためのものか
・発想の転換
第二章 権威者たちとメディアの反応
1.医学界の権威者たちの反応
・日本癌学会では
・「多段階発癌説」
・「専門の学会で発言せよ」
・これは典型的な「いじめ」である
2.「患者よ、がんと闘うな」の本当の意味とメディアの怠慢
1)「患者よ、がんと闘うな」の本当の意味
・本当に訴えたかったこと
・「がんもどき理論」の理解
・「がんもどき」の定義などどうでもよい
2)ジャーナリズムは、「患者よ、がんと闘うな」の本当の意味がわからない
3)メディアの怠慢
第三章
患者は「患者よ、がんと闘うな」を素直に受け入れられない
1.データ主義西洋医学の代弁
・データ主義の論理
・データ主義からの決めつけ
・データ主義というより欧米信仰である
・検診での被曝の問題点
3.「延命」という呪縛
2.自己決定権の押し付け
第四章 医療不信とインフォームド・コンセント
1)悪徳医
2)レベルの低い医者の野放し
3)医者は社会問題に手を染めたくない
4)患者は丸椅子で小さくなり、医者は肘掛け椅子でふんぞりかえる
5)医療過誤で医者は逃げる
6)医療不信の特効薬としてのインフォームド・コンセント
第五章 インフォームド・コンセントとは
1.インフォームド・コンセントの二つの見方
2.インフォームド・コンセントの二つの流れ
3.インフォームド・コンセントとは自律に基づく自己決定である
1)自律と自己決定
2)説得は自律を侵害しない
3)「説得は自律を侵害しない」についてのさらなる考察
4)介入を否定すれば社会は成り立たない
4.インフォームド・コンセントの法理の側面から見た考察
5.インフォームド・コンセントは先進国の証(あかし)か?
1)カンタベリー事件とシダウェイ事件
2)説明、同意にたいするヨーロッパの見方
3)インフォームド・コンセントは文化なのか、文化を越えるものなのか?
4)日本医師会生命倫理懇談会の報告
6.日本のインフォームド・コンセント
7.「インフォームド・コンセント」の9つの意味
第六章 インフォームド・コンセント反対の論理
1.インフォームド・コンセントの矛盾
1)説明における矛盾
・充分な説明とは?
・客観的な説明はロボットにしかできない
・説明の内容は医者が決める
2)自己決定における矛盾
・自由意思での同意の現実的意味
・患者に意思決定能力を求められるか?
・再び「自律的自己決定」と「介入」
3)自己決定権より大切なもの
4)知らないでいる権利
・アメリカには知らないでいる権利はない
・医者は知らせなくても許されるか
・「知らされない権利」は保証されない
5)プラシーボ効果
2.インフォームド・コンセントの幻想
・アメリカのマニュアル医学
・アメリカの専門医ギルド
・アメリカ医療の悩み
3.医学はスポンサーがつくる
・コンピューター医療
・代替療法
・医学はスポンサーがつくる
4.インフォームド・コンセントは医療を非人間的なものにする
・不信を助長するインフォームド・コンセント
・インフォームド・コンセントは医者の善意を否定する
・インフォームド・コンセントは医療本来の「寄り添うこと」を忘れさせる
・宗教上の理由から輸血を拒否する人たち
5.インフォームド・コンセントは患者を騙す道具となる
・医療における自己決定権は自己責任をともなうものではない
・インフォームド・コンセントは問題をあいまいにする
第七章 医療はサービス業ではない
1)医療はサービス業か、国の義務か
2)医療は商品ではない
3)予防接種
4)医療において患者に一切責任はない
第八章 パターナリズムは否定できない
1.パターナリズムとは
1)パターナリズムの理念
2)パターナリズムが積極的に求められるとき
3)医療現場でのパターナリズム
2.精神障害者医療の問題
3.医者だけが知っていればよいこと
1)法律よりも医療が優先される
2)患者の利益が優先される
3)トリアージュ
4.医療の原点はパターナリズム
第九章 「時代の流れ」が理由であってはならない
1.100%のがん告知に反対
1)アメリカ型のがん告知
2)がん告知後の患者の変化
3)告知されるべきだという意見
・がん告知のメリットとは
・100%のがん告知の論理
4)告知のマイナス面
5)日本医師会の提言
6)「知りたい」、「知りたくない」の事前調査の落し穴
7)告知のテクニック
8)告知の押し付けには反対する
9)自分の病気を知りたくないとき
2.カルテは患者のものなのか
1)情報公開とカルテ開示
2)カルテは患者のものではない
3)安易なカルテ開示に反対
4)レセプト開示はしかたがない
5)カルテ開示の方法に関する提言
6)患者の同意なくカルテを処分することの方が問題である
3.医薬分業の発想の問題点
第十章 臨床試験の問題
1.日本の臨床試験制度
1)抗がん剤の臨床試験(治験)の実態
2)新しい臨床試験制度ができるまでの過程
3)新しい臨床試験制度の問題点
・臨床試験が製薬企業主導で行われる
・製薬企業に患者のカルテが開示される
・記録の保存は3年まで
2.臨床試験における被験者の犠牲とその代償
1)身体の犠牲
・毒性試験の危険性
・副作用に対する理解
・目に見えない身体の傷害
2)精神的負担
・治験そのものへの不安
・説明に対する混乱
・見放される不安
3)被験者にかせられる手間と時間
4)被験者が受ける代償
3.臨床試験の人道上の問題
1)臨床試験の二つの種類
2)人道にかなう人体実験とは
3)被験者の同意とは
4)医学の発展のなかみ
5)患者を犠牲にしてまで医学は発展する必要はない
6)ニュールンベルグ綱領とヘルシンキ宣言
7)臨床試験(治験)という制度はなくすべき
4.患者が臨床試験に関わらないための方法
第十一章 セカンドオピニオンへの期待
1.患者はインフォームド・コンセントに何を求めたか
1)メディアがつくる医療不信
2)患者が求めたのは自己決定権ではない
・患者が求めたのは「寄り添う医療」
・「寄り添う医療」と「強者のための医療」
3)患者は最後まで寄り添ってくれる医者を求めている
2.医者たちはインフォームド・コンセントに疑問を抱き始めた
1)学会での研究報告
・がん告知に関するもの
・説明と理解における問題を指摘するもの
・QOLからインフォームド・コンセントを見直すもの
2)患者の自己決定ではなく善意のパターナリズムへ
3)インフォームド・コンセントの新しい解釈
3.セカンドオピニオンとは何か
1)アメリカのセカンドオピニオン
2)セカンドオピニオンは医者を裁定するものではない
3)セカンドオピニオンが目指すもの
4)広い意味の「セカンドオピニオン」
4.法制化すべきはセカンド・オピニオン
1)医者がガンになったとき
2)臨床試験とセカンドオピニオン
3)ガンになったときのセカンドオピニオン
4)セカンド・オピニオンの法制化
5.セカンドオピニオンに期待する
1)医者であるということの原罪とセカンドオピニオン
2)医療の枠組みを変えるセカンドオピニオン
6.セカンドオピニオンは患者から求めるもの
あとがき
第一章から第三章までは一年前話題になった近藤
誠著「患者よ、がんと闘うな」とその後の「がん論争」を、独自の視点から論じている。がん医療に持ち上がった具体的問題を概括することによって、本書のテーマへと導入されていく。
第四章、第五章ではインフォームド・コンセントそのものについて独自の解説を試み、第六章ではインフォームド・コンセントに反対する論理を包括的にまとめた。そして第七章では医療の見方から、第八章ではパターナリズムを見直す観点からインフォームド・コンセント反対論を追加している。
第九章はインフォームド・コンセントに関連して医療問題の話題になることの多い、ガン告知、カルテ開示、医薬分業の三つの問題にしぼって、アメリカ崇拝や、「時代の流れ」という発想からではなく、患者にとってはどうなのかという視点で論じている。ここでもインフォームド・コンセント反対論がさらに具体的に展開されている。
第十章は、昨年実施されることに決まった、新しい臨床試験の実施基準の問題点を論じるとともに、臨床試験の持つ本質的な意味を問い直すものである。インフォームド・コンセントがもともと臨床試験のルールづくりから始まったことをから、インフォームド・コンセントの本質的な問題点がここではっきりと現われてくる。
最後に第十一章では、インフォームド・コンセントに反対するのなら、果たしてどのように医療不信の問題を解決し、信頼できる医療を取り戻すためには何をなすべきかを、具体的にセカンドオピニオンをあげて論じている。
次にこの本の目的と、執筆に至るまでの経緯について簡単に触れる。
本書の目指すものは、あくまで現代の医療が抱える問題点を明らかにし、その解決方法を探るところにある。決して医療改革への努力を茶化すものでも嘲笑うものでもない。
「インフォームド・コンセント」というものが医療改革のキーワードとなり、大部分の人たちが何の疑いもなく是認する。ところが「インフォームド・コンセント」は患者の自己決定を最も重要なものとして位置付け、患者に自己責任を突き付けるものであることを強調したい。
医療はあくまで患者のためにある。医療の結果が不満足であったなら、それは医療の至らなさに原因があるのであって、患者の責任ではない。自己決定、自己責任を理由に患者のせいにするのは間違っている。
「インフォームド・コンセント」は、患者に苦痛を強いるガンの拡大手術や無益な抗ガン剤の使用、非人道的臨床試験を正当化するための道具になっている。このことを患者はよく理解し、「インフォームド・コンセント」にだまされないようにしなければならない。それがこの本の執筆の目的である。
それにしても「インフォームド・コンセント」は人々の心を捉えている。多くの患者や家族、良心的医者たちや、人権派の弁護士たちが、「インフォームド・コンセント」を拠り所に、納得できる開かれた医療を要求して活動が進められている。そこへ「インフォームド・コンセント」反対論を唱えたのでは、医療改革運動に水をさすことになりかねないし、また、理解もしてもらえない。当初はしばらく執筆を見合わせた。
「インフォームド・コンセント」推進運動の成果があって、多くの患者が医者に説明を求めるようになり、医者もそれに応えるようになった。しかし、患者の医療不信は一行におさまらない。薬害エイズ事件と厚生官僚の汚職は、官僚と製薬会社と医者の癒着と腐敗を暴露した。「患者よ、がんと闘うな」のベストセラーにより、患者は医学界の権威者たちの言ってきたことに疑問を抱き始めた。それでも現実の医療には何の変革も生まれない。医療不信はなくなるどころかますますつのる。
がん治療の現場では、「インフォームド・コンセント」が守られているとして、相変わらず拡大手術や、抗がん剤の人体実験がどんどんなされている。現場の患者や医者たちの間に、「インフォームド・コンセント」を実践することが本当に医療改革につながっているのだろうかという疑問が芽生え始めた。
そして一年前の日本癌治療学会で、国立環境研究所副所長の大井
玄氏が、「ガン治療にインフォームド・コンセントは必要か」というテーマで講演があり、「インフォームド・コンセント」の制度化に異論を唱えるのは著者だけではないことを知った。去年は日本の臨床試験制度が大きく変わり、混乱の中で活発な論議が巻き起こった。
無批判に導入された「インフォームド・コンセント」に対し、もう、その問題点をはっきりと投げかけても良い時期が来た。特に「インフォームド・コンセント」に幻想をいだかせる書物は氾濫するが、問題点をまとめた書物は見あたらない。そう考え執筆に至った。
この本を読み進める上で、参考になるキーポイントを簡単に述べる。
「患者よ、がんと闘うな」は患者を犠牲にするがん医療への告発であった。ところが最近ではせっかくの論争が、自然消滅してしまった。がん医療は何ら変化していない。今振り返ると「患者よ、がんと闘うな」の出版と、その後の「がん論争」は、メディアがみずからブームを起こし、ただブームが去っただけのことである。メディアは「患者よ、がんと闘うな」の提起した問題を全く理解していなかったのである。
メディアが積極的に取材し、事実を検証することをしなかった理由の一つは、患者や家族たちが、「患者よ、がんと闘うな」に何か素直に受け入れられない反発を感じていたことに関連する。それは、挑発的な言いまわしだけでなく、もっと重要なのは、患者に自己決定を迫ったことに原因がある。それはとりもなおさず、近藤自身が、強者の論理を弱者である患者に押し付けたことを意味する。このことは本書のテーマに関連してくる。
近藤自身はそこには気付いていない。がん医療に変革を求めるなら、今からでも「患者よ、がんと闘うな」の本当の意味が広く理解されなければならない。著者は、メディアが傍観者となり、権威に対して挑戦した医者を翻弄する現状に怒りを抱く。何よりもがん医療に対するメディアの理解を望む。
「インフォームド・コンセント」の理念は矛盾だらけの机上の空論である。人によって解釈はさまざまだし、指針やルールとしても具体性がない。
ところが、医療不信に憤る患者や家族たちが、「インフォームド・コンセント」に期待した。人々は検査の説明に一時間もかけるアメリカの医療に憧れた。そして十分な説明の上での自由意思での自己決定が実現できれば、医療不信はなくなると信じた。
しかし、それは幻想でしかなかった。特に、臨床試験における「インフォームド・コンセント」とは、患者をあざむいて、製薬企業が利益をむさぼることを正当化する以外の何ものでもない。「インフォームド・コンセント」とは、「自己決定は自己責任を伴う」として患者に責任を押し付けるものであった。
著者は医療において患者に一切責任はないと断言し、「医学の発展のためには人体実験が必要だ」の論理は「多数のために少数の犠牲はやむを得ない」と言っているのと同じだと強調する。そして患者を犠牲にしてまで医学の発展はいらないと言い切る。
最後の章では、それではどうしなければならないかを考える。医療の原点は、患者に「寄り添うこと」にある。医療を信頼できるものにすることは、弱肉強食の競争社会の「契約医療」を、本来の相互依存の「寄り添う医療」に戻すことである。そしてそのための最も有効で現実的な具体策としてセカンドオピニオンを提言する。
この本は、読者が医療を考える上で、何が本質的な問題かを見極めるきっかけ与えることと信じる。そして医療を考えるときの基準は、医療の原点、すなわち患者の幸せを中心におくことの重要性を教えるであろう。
インフォームド・コンセントの自律的な自己決定と自己責任、それに対する善意のパターナリズムの問題は、医療に限らず、子どもの教育や生活のあらゆる領域に共通する
普遍的課題である。この本が、多方面で参考になれば幸いである。
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